あなたの時間は「書式設定」に奪われていませんか?
裁判所提出書類をはじめとする公用文の作成。それは、正確な情報伝達が求められる、知的で創造的な作業のはずです。しかし、私たちはその過程で、どれだけの時間を「本質的でない作業」に費やしているでしょうか。
「文字の間隔は揃っているか」「見出し番号の振り方は間違っていないか」「見出しや本文のインデントは適切か」…
こうした書式設定の確認と修正に、貴重な時間と労力が奪われていく。多くの人が、そんな経験をお持ちのはずです。
VBAアセットでは、こうした悩みを解決するため、Wordの書式設定を自動化するツール「VA公用文」を紹介しています。
しかし、「VA公用文」を紹介するページへのアクセス数は伸び悩んでいます。その背景には、ツールの知名度不足やマクロへの抵抗感と並んで、「自分にはそのようなツールは必要ない」という意識があるのではないかと考えています。
「書式設定くらい自分でできて当たり前だ(自分にはそれができている)」「ツールに頼るのは、なんだかプロフェッショナルではない気がする(自分はプロフェッショナルを目指している)」
その感覚、実は非常によく分かります。そしてそれは、かつて自動車業界で起こった、ある大きな変化の際に聞かれた声と、驚くほどよく似ているのです。
この記事では、自動車におけるマニュアル・ミッション(MT)車からオートマチック・ミッション(AT)車への転換の歴史を紐解きながら、公用文作成という業務における「こだわり」や「プライド」の在り方について考えてみたいと思います。
「ATはダサい」ヨーロッパで今もMT車が愛される理由
現在、日本で販売される新車のうち、AT車の比率は約99%に達します。AT発祥の地であるアメリカですら約97%ですから、日本は世界一の「AT大国」と言えるでしょう。
ところが、ヨーロッパに目を向けると状況は一変します。フランスなどではMT車の比率が70~80%以上に達し、今なおMT車が市場の主流であり続けているのです。
なぜ、これほどまでに差が生まれるのでしょうか。もちろん、AT車は車両価格や修理費が高く、燃料代も高いヨーロッパでは経済的にMT車が合理的という側面もあります。しかし、それ以上に根強いのが、彼らの持つ独特の価値観です。
ヨーロッパのドライバーの多くにとって、自動車の運転とは、単なる移動ではありません。自らの手足でクラッチとシフトレバーを操り、エンジンと対話しながら車を意のままに走らせる「運転の楽しさ」こそが、何より重視されるのです。彼らにとって、車が勝手に変速を行うATは、その楽しみを奪う無粋な存在。「ATはMTよりも『下』の存在だ」という偏見すら存在します。
極端に言えば、「ATは、運転の本当の楽しみを知らない人が乗るものでダサい」という文化的な空気が、ヨーロッパには確かに存在するのです。すべてを自分でコントロールすること。それこそがドライバーの本来あるべき姿だという、強いこだわりとプライドが、MT車への根強い支持に繋がっています。
「プロは黙ってマニュアル車」タクシー業界でAT化が遅れた理由
実は、この「こだわり」と「プライド」は、日本にも存在しました。特に、運転を職業とするプロの世界、タクシー業界においてです。
今でこそ日本のタクシーはAT車が当たり前ですが、かつてはMT車が圧倒的な主流でした。その理由は、初期のAT車がMT車に比べて耐久性や燃費性能で劣っていたという技術的な側面に加え、ドライバーたちの「プロとしてのプライド」が大きく影響していました。
左足でクラッチを巧みに操り、乗客に不快なショックを与えずに滑らかに変速する。その技術は、まさに熟練の証であり、プロドライバーとしての矜持そのものでした。特に坂道や雪道での繊細な駆動力コントロールは、MT車でなければできない神業とされていました。彼らにとって、AT車は「素人が乗るもの」であり、プロが使うべきものではない、という意識が根強くあったのです。
しかし、時代は変わります。1990年代以降、ATの技術は飛躍的に向上し、耐久性や燃費はMT車と遜色ないレベルに達しました。何より決定的だったのは、ドライバーの「身体的負担の軽減」と「乗客の快適性向上」というメリットでした。
渋滞の多い都市部での頻繁なクラッチ操作は、ドライバーの身体に大きな負担となります。AT車は、彼らをそれから解放しました。そして、そこから生まれた余力を、周囲の安全確認や、乗客へのきめ細やかな配慮といった、より本質的なサービスに向けることができるようになったのです。
変速ショックのない滑らかな乗り心地は、乗客の満足度を確実に高めます。もはや、AT車を選ぶことは、単なる効率化ではなく、より質の高いサービスを提供するための、プロとして当然の判断となったのです。
あなたの公用文作成は、まだ「MT車」ですか?
ヨーロッパのドライバーが抱く「ATはダサい」という価値観。かつてのタクシードライバーが持っていた「プロならMT」というプライド。これらは、私たちが公用文作成の書式設定に対して無意識に抱いている感覚と、どこか似てはいないでしょうか。
「書式設定は、文書作成の基本中の基本。それをツールに任せるなんて…」「細部まで自分の手で完璧に仕上げてこそ、良い仕事と言える」
そのこだわりは、もちろん尊いものです。しかし、そのこだわりは、本当に文書の「質」を高めることに繋がっているのでしょうか?
書式設定に費やす時間と労力は、MT車を運転する際のクラッチ操作やシフトチェンジに似ています。それは確かに「運転」という行為の一部ですが、最も重要な部分ではありません。運転で最も重要なのは、目的地まで安全かつ快適に移動することです。
同様に、公用文作成で最も重要なのは、伝えたい内容を、正確に、分かりやすく、そして説得力をもって相手に届けることです。もし、書式設定という煩雑な作業に思考のリソースを奪われ、本来最も注力すべき文章の構成や表現を練る時間が削られているとしたら、それは本末転倒と言わざるを得ません。
さらに重要なのは、セキュリティの確保です。書式設定の手間を省くために、過去の文書ファイルを使いまわすのは、誰もが経験することです。でも、そこには消去されずに残った情報の漏洩という、重大なリスクが潜んでいます。
結論:本質に集中するために、「VA公用文」という選択を
タクシードライバーは、AT車という新しい技術を受け入れることで、運転操作という負担から解放され、安全とサービスという、より本質的な価値の提供に集中できるようになりました。
「VA公用文」は、あなたの公用文作成における「AT車」です。「VA公用文」を活用することは、決して仕事の手を抜くことではありません。むしろ、本質的でない作業を賢く自動化し、自らの能力を最も価値ある部分に集中させ、セキュリティを確保する、極めて戦略的な選択です。
「書式を自分の手で整える」というプライドから、「文章の内容で相手を唸らせる」というプライドへ。あなたのそのこだわりとプライドを、もう一段、上のステージへと引き上げてみませんか?
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